お寺で出会う禅 | 京都・鎌倉、そして富士山麓へ—日本の禅を体験する旅
日本の禅寺とは

日本の禅寺は、ただの歴史的建造物や観光名所ではありません。
そこは、訪れる人が呼吸を整え、思考を静め、自分自身を取り戻すことができる「生きた修行の場」です。
私は曹洞宗の僧侶として、全国の禅寺を巡り、禅の多様な姿に触れてきました。
禅寺とは何か、どのように訪れるのか、そしてどんな体験ができるのか。
ここでは、日本の禅文化の広がりと、私が暮らす富士山麓・耕雲院での実践を通じてご案内します。
禅寺とは—「座る」ことから始まる学び
禅寺とは、禅宗(曹洞宗・臨済宗・黄檗宗)の教えを実践するための寺院です。
その中心にあるのが坐禅(ざぜん)。
静かに座り、呼吸とともに自分の心を観察する行為です。
禅は理論を積み上げる学問ではなく、体を通じて心を調える実践です。
だからこそ、禅寺は宗教施設であると同時に、
現代の私たちにとっての“心のリセット装置”として開かれています。
日本の禅の歩み—武士とともに育った「生き方の哲学」
禅の始まりは、お釈迦さまが菩提樹の下で坐り、悟りを開いた瞬間にあります。
極端な苦行でも、贅沢でもなく、その中間にある中道—偏らない生き方の実践。
この姿勢こそが、禅の根本に流れる精神です。
後に達磨大師がその教えを中国に伝え、9年間の壁観坐禅を通して「一華開五葉」と呼ばれる流派の礎を築きました。
そして約800年前、道元禅師が如浄禅師との出会いを経て日本に曹洞宗を開きます。
道元が説いた「只管打坐(しかんたざ)」—ただ坐ることそのものが悟りであるという考えは、日本人の生活観に深く根づいていきました。
戦の世を生きた武士たちは、この教えに「動じない心」を見出します。
姿勢を正し、目の前の一事に集中する「一行三昧(いちぎょうざんまい)」の精神は、まさに武士道と重なりました。
さらに、禅の美意識は“引き算の智慧”として建築や茶道、そして現代デザインにも受け継がれています。
余計なものを削ぎ落とすことで、物事の本質が浮かび上がる—それが禅の美です。
禅が私たちに伝えるのは、「いま、この瞬間を生きる」こと。
過去にも未来にもとらわれず、いま出来ることを丁寧に行う。
その連続の中に、人生の深さが静かに息づいています。
日本各地の禅寺—文化と自然の中で“坐る”
京都の禅寺—観る禅、造る禅
- 建仁寺(京都)

1202年創建。京都最古の禅寺で、日本の茶文化発祥の地とも言われます。祇園の喧騒のすぐそばにありながら、一歩中に入ると時間が止まったような感覚に包まれます。 - 南禅寺(京都)

水路閣の赤煉瓦が印象的。人の流れが多くても、方丈庭園に立つと、音と光が呼吸のリズムを取り戻してくれる場所です。 - 龍安寺(京都)

15個の石のうち、どこから見ても1つだけ隠れる石庭。禅の「不完全の美」を体現し、静かな時間の中で自分の思考がほどけていくのを感じます。
鎌倉の禅寺—武士の心を映す
- 建長寺(鎌倉)
1253年創建。日本初の本格的な禅修行道場で、今も坐禅会が行われています。 - 円覚寺(鎌倉)

戦没者を弔うために建てられた寺。力強さと静けさが共存する境内には、鎌倉武士の精神が息づいています。
曹洞宗の大本山—永平寺と總持寺
- 永平寺(福井県)

道元禅師によって開かれた曹洞宗の総本山。200名以上の僧侶が、今も毎日、夜明け前の坐禅から一日を始めています。 - 總持寺(横浜市)

もう一つの大本山。都市の中にありながら、境内に足を踏み入れると空気が変わる。都会で禅に触れたい人にとっての入口です。
日本各地の隠れた禅寺
- 瑞巌寺(宮城)

松島の海を望む東北の禅寺。
- 相国寺(京都)

狩野派の襖絵が禅の「動中の静」を描く。
- 方広寺(浜松)

杉林に囲まれた修行道場。
有名寺院の賑わいとは異なり、地方の禅寺では”生活の延長にある禅”を感じることができます。
禅寺を訪ねる—心得と作法
禅寺は観光地であると同時に、僧侶たちが今も修行を続ける場所です。
少しの心がけで、体験はより深くなります。
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- 声を潜め、足を静かに運ぶ。
これは他人のためだけでなく、自分の内を乱さないための修行です。 - 靴を揃える。
入堂時の「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」は、自分の足元を見直す禅の教え。 - 合掌と一礼を忘れずに。
形式よりも誠意を込めて。 - 写真より体験を。
カメラを置き、五感で空間を味わうことで、記憶に深く残ります。
- 声を潜め、足を静かに運ぶ。
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富士山麓の禅—耕雲院で体験する「感じる禅」

京都や鎌倉が“見る禅”だとすれば、
富士山麓の禅は“感じる禅”です。
山梨県都留市の耕雲院(こううんいん)は、1398年創建の曹洞宗寺院。
富士山と河口湖を望む森の中にあり、600年以上、坐禅の灯を絶やさず受け継いできました。
東京から90分。
都市の喧騒から離れ、木の香りと風の音に包まれながら、
坐禅・写経・ヨガ・法話・精進料理を体験できます。
私はここで、訪れる方々と一緒に呼吸を合わせながら、
「思考を止める時間」を共有しています。
禅は空間だけでなく、心のあり方そのものでもあります。
内側の静けさに触れる“マインドフルネスとしての禅”については、
👉 マインドフルネスは寺にある—静けさに帰るということ で詳しくご紹介しています。
富士山麓のお寺で禅体験 — 耕雲院のプログラム概要
- 所要時間:約3〜4時間
- 内容:ヨガ・坐禅・写経 ※精進料理はオプション
- 費用:10,000〜15,000円
- 場所:山梨県都留市(富士山・河口湖から車で約40分)
👉 詳細・予約はこちら →耕雲院公式サイトリンク
私がご案内します —耕雲院 副住職・河口智賢
私は、山梨県都留市の曹洞宗 耕雲院で副住職を務めております、河口智賢(かわぐち ちけん)と申します。
大本山・永平寺での修行を経て、禅の実践とその心を現代に伝える活動を続けています。

映画『典座 –TENZO–』では主演を務め、カンヌ国際映画祭をはじめ世界各地で上映されました。
この作品を通じて、禅の精神が国や言葉を超えて人の心に届くことを実感しました。
耕雲院では、坐禅・写経・ヨガ・精進料理といった体験を通じ、
訪れる方がそれぞれの「今」と向き合う時間を私自身が直接ご案内しています。
禅は、特別な修行ではなく、誰にでも開かれた“生き方の実践”です。
その思いから、子ども食堂の運営やオンライン坐禅など、
日常の中に禅の精神を取り入れる取り組みも続けています。
この富士山麓という自然に恵まれた地で、
世界中から訪れる方々と「呼吸を整える時間」を共有できることが、私にとって何よりの喜びです。
禅の瞑想とシンプルな所作を通じて、
どなたにも届く—深くてやさしい禅の体験をお届けできればと思います。
体験者の声
「心の奥に“静けさの余白”が生まれました。」
日常では味わえない深い静寂に包まれる時間でした。自分の呼吸が“帰る場所”になる感覚を体験できました。「坐禅と法話が、自分の生活を見直すきっかけに。」
難しい言葉ではなく、日常の中の“禅”を優しく伝えてくださる方でした。家でも呼吸を意識するようになりました。「ヨガと坐禅の組み合わせが心地よかった。」
身体をほぐしてから坐ると、自然に呼吸が深まりました。富士山の空気と、河口さんの穏やかな声が印象的でした。
よくあるご質問(FAQ)
Q. 初めてでも大丈夫ですか?
A. もちろんです。姿勢や呼吸法は最初に丁寧にご案内します。
Q. 服装に決まりはありますか?
A. 動きやすい服装であれば問題ありません。
Q. 写経や精進料理は全員参加ですか?
A. 写経は体験に含まれますが、精進料理はオプションです。ご希望の方のみご予約ください。
Q. 坐禅中に眠くなってしまったら?
A. 眠くなるのは自然なことです。眠気に気づくことも禅の一部です。焦らず、呼吸に意識を戻してみてください。
Q. 予約はどこからできますか?
A. こちらのお問い合わせフォームからご予約ください。
禅を感じる旅の終わりに
禅は、知識ではなく感覚です。
坐ること、歩くこと、食べること、その一瞬がすべて修行になります。
そして、お寺はその「今」を感じるための空間。
京都の石庭でも、鎌倉の坂道でも、富士山麓の森でも、
禅が教えてくれるのは、“今ここに生きる”ということです
どうぞ、耕雲院に来てみてください。
山と風とともに、あなた自身の呼吸を取り戻す時間を。
