お寺リトリートとは何か—立ち戻るために旅をする
お寺リトリートとは、お寺という静かな環境に滞在し、瞑想・坐禅・呼吸・沈黙の時間を通じて心と身体を整える滞在型の体験のことです。
観光や修行ではなく、「何もしない時間に身を置くことで、自分に戻る旅」として注目されています。
旅の目的は変わり始めています。観光地を巡る旅から、静けさに泊まり、「本来の自分に還る旅」へ。
Retreat=立ち戻る。
その言葉には「逃げる」のではなく、自分に帰るという意味が宿っています。
近年、ホテルや旅館とは異なる「余白のある滞在」を求める方が増えています。
たとえば—
✔ バタバタしない旅がしたい
✔ 心を落ち着けたい
✔ 自然の中でリセットしたい
✔ 予定に縛られず過ごしたい
そんな方に静かに選ばれているのが、お寺リトリートです。
👉 禅文化や坐禅の全体像を知りたい方は、
「禅体験とは|初心者にも安心。富士山麓・耕雲院で坐禅と写経を体験」をご覧ください。
お寺が“時を戻す場所”である理由
都会の時間は「分」や「予定」で回っています。
しかし寺院で流れる時間の単位は、光・風・鐘・そして呼吸です。
夜明け、富士山から差し込む光で目が覚め、
屋根の上を渡る風音や鳥の声が、一日の始まりを知らせます。
スマートフォンではなく、自然が刻む時間。
その世界にいると、心の奥にこんな感覚が生まれます。
—「急がなくていい。」
失われていた“間”が戻り、
人はゆっくり、本当にゆっくり「今」に着地していきます。
“何もしない空間”が人を癒す
お寺リトリートの核心は、アクティビティではありません。
「何もしないでいられる空間があること」。
建築・空気・温度・光—
そのすべてが、言葉を使わず心を整えていきます。
富士山麓の寺院で過ごしていると、
音のない時間が「寂しさ」ではなく「満ちている時間」に変わります。
廊下を歩く音
畳に座るときの静けさ
湯呑みに手を添えたときの体温
その一つひとつが、
忙しさによって失われた感覚の扉を開いていきます。
情報が多すぎる世界では、心は締まり過ぎてしまう。
静けさの空間では、心がようやく深く息をします。
富士山麓の寺院で過ごしていると、音のない時間が「寂しさ」ではなく「満ちている時間」に変わります。
👉 お寺の空間が心に影響する理由については、
「禅宗のお寺とは—禅の思想をかたちにした建築文化」で詳しく解説しています。
お寺リトリートが生み出す3つの再生サイクル
① 時間の再生
急ぎ続けた心が、ゆっくりと落ち着き、
“するべきこと”ではなく“いま存在していること”が感じられるようになる。
② 感情の再生
比較や評価から解放され、
抑えていた感情がやわらかくほどけていく。
③ 意識の再生
「どう見られるか」ではなく、
「どう在りたいか」という視座が戻ってくる。
お寺リトリートは癒しではありません。
再構築—もう一度生き方の速度を選び直す機会です。
禅の世界ではこれを、
調身・調息・調心
(身体・呼吸・心の調和)
と呼びます。
いま、ウェルビーイングという言葉が注目されていますが、
禅の世界ではそれは特別な概念ではなく、生きる姿勢そのものです。
👉 禅と現代のマインドフルネスについては、
「マインドフルネスは寺にある—静けさに帰るということ」も参考になります。
お寺リトリートは「何かを得る旅」ではない
現代の旅は、「何を得られるか」で選ばれます。
しかし、お寺リトリートはその正反対。
得ようとしないからこそ、満たされる旅。
予定を詰めない
成果を求めない
比べない
禅の言葉では、これを無所得といいます。
「何もしなかった一日」が、
こんなにも豊かで温かいことを、
多くの方が初めて体験します。
富士山麓・耕雲院—自然と禅が調和するリトリート
耕雲院は、富士山と杉林に囲まれた山梨県都留市の寺院です。
都心から遠すぎず、自然から遠くない—
“人が静かに戻れる距離感”にあります。
ここでは、
・静けさに触れる時間
・身体に意識を戻す時間
・外ではなく内側に耳を澄ませる時間
を大切にしています。
それは、
「人は静けさの中でしか、本当の休息を手に入れられない。」
という確信です。
ここでは言語も文化も境界になりません。
静けさは、世界共通の言葉だからです。
ここでは言語も文化も境界になりません。静けさは、世界共通の言葉だからです。
富士山麓で禅を体験する — 耕雲院プログラム
- 所要時間: 約3〜4時間
- 内容: ヨガ・坐禅・写経 ※精進料理はオプション
- 費用: 10,000〜15,000円
- 場所: 山梨県都留市(富士山・河口湖から車で約40分)
👉 詳細・予約はこちら → 耕雲院公式サイトリンク
耕運院 副住職・河口智賢(かわぐち ちけん)
私は、山梨県都留市の曹洞宗 耕雲院で副住職を務めております、河口智賢(かわぐち ちけん)と申します。
大本山・永平寺での修行を経て、禅の実践とその心を現代に伝える活動を続けています。
映画『典座 –TENZO–』では主演を務め、カンヌ国際映画祭をはじめ世界各地で上映されました。
この作品を通じて、禅の精神が国や言葉を超えて人の心に届くことを実感しました。
耕雲院では、坐禅・写経・ヨガ・精進料理といった体験を通じ、
訪れる方がそれぞれの「今」と向き合う時間を私自身が直接ご案内しています。
禅は、特別な修行ではなく、誰にでも開かれた“生き方の実践”です。
その思いから、子ども食堂の運営やオンライン坐禅など、
日常の中に禅の精神を取り入れる取り組みも続けています。
禅は、難しい修行ではありません。
お寺という静かな空間に泊まり、何もしない時間に身を置く
—それがリトリートです。
富士山麓の自然の中で、
呼吸とともに自分へ戻る時間を
丁寧にご案内します。
👉 禅寺での坐禅の本質についてさらに深く知りたい方は、
「禅寺 座禅|永平寺修行僧が語る、“修行としての坐禅”の意味」をご覧ください。
体験者の声
「心の奥に“静けさの余白”が生まれました。」
日常では味わえない深い静寂に包まれる時間でした。自分の呼吸が“帰る場所”になる感覚を体験できました。
「坐禅と法話が、自分の生活を見直すきっかけに。」
難しい言葉ではなく、日常の中の“禅”を優しく伝えてくださる方でした。家でも呼吸を意識するようになりました。
「ヨガと坐禅の組み合わせが心地よかった。」
身体をほぐしてから坐ると、自然に呼吸が深まりました。富士山の空気と、河口さんの穏やかな声が印象的でした。
FAQ(よくある質問)
Q. 初めてでも大丈夫ですか?
A. もちろんです。姿勢や呼吸法は最初に丁寧にご案内します。
Q. 服装に決まりはありますか?
A. 動きやすい服装であれば問題ありません。
Q. 写経や精進料理は全員参加ですか?
A. 写経は体験に含まれますが、精進料理はオプションです。ご希望の方のみご予約ください。
Q. 坐禅中に眠くなってしまったら?
A. 眠くなるのは自然なことです。眠気に気づくことも禅の一部です。焦らず、呼吸に意識を戻してみてください。
Q. 予約はどこからできますか?
A. こちらのお問い合わせフォームからご予約ください。
まとめ—泊まることが“祈り”になる
お寺リトリートは、逃げ場所ではありません。
それは、
本来の自分に戻るための時間。
静けさに身を置き、呼吸し、何も決めずに過ごす。
その行為は、祈りにも似ています。
静けさに泊まるという行為は、世界と自分をもう一度つなぎ直す祈りの形です。
富士山麓・耕雲院で、
あなた自身の「帰る場所」を、もう一度見つけませんか。
