マインドフルネスという言葉を聞くたびに思うこと
最近、「マインドフルネス」という言葉をよく耳にします。
ストレスの緩和や集中力の向上といった効果が語られ、ビジネスや教育の現場でも広く使われるようになりました。

けれど私にとってマインドフルネスとは、どこか新しい概念というより、
お寺の中で昔から大切にされてきた”心の姿勢”のことだと感じます。
曹洞宗の禅では、「坐禅をすること」そのものが悟りの姿です。
何かを得るためではなく、ただ坐る。息を整え、背を伸ばし、心と体をひとつにする。
そこには、静けさとともに「いまここにある」という確かな実感が生まれます。
坐禅は、心を静かにするための方法ではない
よく「坐禅をすると雑念がなくなりますか?」と聞かれます。
私の答えはいつも同じです。—なくなりません。

人間の心は動くものです。思い出したり、考えたり、比べたり。
それを無理に止めようとすると、かえって波が立ちます。
だから坐禅では、「雑念を消そう」とはしません。
「あ、考えているな」と気づくだけでいいんです。
気づいて、戻る。
また考えて、また戻る。
その繰り返しの中で、少しずつ「とらわれ」から離れていく。
それが、禅におけるマインドフルネスの姿です。
静けさとは、何も起こらない時間ではない
お寺の本堂で坐っていると、
鳥の声、雨の音、風の揺らぎ—
さまざまな音が、ひとつひとつ立ち上がっては消えていきます。
そのどれもが、「いま」を教えてくれます。
静けさとは、無音のことではありません。
“音をありのままに聴ける心の状態”のこと。
坐っているとき、私たちは世界のざわめきの中で、
ようやく自分自身の声を聴くことができます。
それは「心が止まる」時間ではなく、
「心が世界とつながり直す」時間なのです。
禅の言葉にある「而今(じこん)」の教え
道元禅師は、「而今(じこん)」という言葉で”今この瞬間を生きる”ことの大切さを説かれました。
過去にとらわれず、未来を心配しすぎず、ただ今という一点に心を据える。
「前後際断(ぜんござだん)」—過去と未来を断つ。
この教えは、まさに現代のマインドフルネスと通じます。
私たちは「今」に意識を置く練習を通じて、
自分の中にある焦りや不安、比較から少しずつ自由になっていきます。
坐禅は、未来の自分のための修行ではありません。
今ここで生きる練習なのです。
「洗心」—心を洗う時間
心は磨かなければ曇ります。
放っておけば、埃のような思考や感情が少しずつ積もっていきます。
お寺での坐禅や作務(掃除・庭仕事)は、
そうした心の曇りを静かに拭い取る「洗心(せんしん)」の時間です。
掃除をすると、部屋だけでなく心も整います。
食事を丁寧に作ると、感謝が自然に湧いてきます。
靴を揃えること、挨拶をすること—
その一つひとつの行いの中に、心を澄ませる練習があるのです。

縁起の中で生きるということ
仏教の根本には「縁起(えんぎ)」という考えがあります。
この世界には、独立して存在するものは何もない。
私たちはすべて、関係の網の目の中で生かされています。
マインドフルネスとは、
自分の呼吸が他者と世界に支えられていることを思い出す時間でもあります。
「坐禅は自分のためであると同時に、世界のための行いです。」
静けさの中で、自分がいかに多くのものに支えられているかに気づくと、
自然と感謝が生まれます。
それは祈りにも似た、穏やかな心の波です。
日常に帰っていくマインドフルネス
坐禅の後、私はいつも参加者にこう伝えます。
「坐ることも禅ですが、立ち上がるその瞬間からが本当の修行です。」
坐禅で得た静けさは、日常でこそ試されます。
誰かの言葉に心が揺れるとき、忙しさに追われるとき、
その瞬間に「一呼吸おく」ことができれば、
それが、すでにマインドフルネスの実践です。
富士山麓で体験するマインドフルネス — 耕雲院のプログラム概要
- 所要時間:約3〜4時間
- 内容:ヨガ・坐禅・写経 ※精進料理はオプション
- 費用:10,000〜15,000円
- 場所:山梨県都留市(富士山・河口湖から車で約40分)
👉 詳細・予約はこちら → 耕雲院公式サイトリンク
👉 禅体験についてはこちら
私がご案内します — 耕雲院 副住職・河口智賢
私は、山梨県都留市にある耕雲院の副住職、河口智賢(かわぐち ちけん)と申します。
大本山・永平寺で修行を積み、曹洞宗の伝統を長年の実践を通して受け継いできました。
映画『典座 –TENZO–』では主演を務め、この作品はカンヌ国際映画祭をはじめ世界各地で高い評価をいただきました。
映画を通して「禅の心」を伝える、新しい道も開かれました。
ここ耕雲院では、坐禅・写経・ヨガ・精進料理を通じて、
私自身が直接、訪れる方を導いています。
禅は「難しい修行」ではなく、誰にでも開かれた生き方です。
その思いから、子ども食堂の運営、オンライン坐禅など、
日常の中に禅の精神を生かす取り組みを続けています。
世界中から訪れる方々を、この富士山麓の静かな寺でお迎えできることが、
私にとって何よりの喜びです。
禅の瞑想とシンプルな実践を通して、
深遠でありながら、誰にでも開かれた体験を分かち合いたいと思います。
体験者の声
「心の奥に”静けさの余白”が生まれました。」
日常では味わえない深い静寂に包まれる時間でした。自分の呼吸が”帰る場所”になる感覚を体験できました。「坐禅と法話が、自分の生活を見直すきっかけに。」
難しい言葉ではなく、日常の中の”禅”を優しく伝えてくださる方でした。家でも呼吸を意識するようになりました。「ヨガと坐禅の組み合わせが心地よかった。」
身体をほぐしてから坐ると、自然に呼吸が深まりました。富士山の空気と、河口さんの穏やかな声が印象的でした。
💡 よくあるご質問(FAQ)
Q. 初めてでも大丈夫ですか?
A. もちろんです。姿勢や呼吸法は最初に丁寧にご案内します。
Q. 服装に決まりはありますか?
A. 動きやすい服装であれば問題ありません。
Q. 写経や精進料理は全員参加ですか?
A. 写経は体験に含まれますが、精進料理はオプションです。ご希望の方のみご予約ください。
Q. 坐禅中に眠くなってしまったら?
A. 眠くなるのは自然なことです。眠気に気づくことも禅の一部です。焦らず、呼吸に意識を戻してみてください。
Q. 予約はどこからできますか?
A. こちらのお問い合わせフォームからご予約ください。
心が帰る場所としての寺
静けさは、何も起こらない時間ではありません。
静けさの中でこそ、心は本当の声を取り戻します。
マインドフルネスを”学ぶ”よりも、”思い出す”。
それが、寺での体験が持つ本当の意味だと思います。
富士の麓の禅寺・耕雲院でお待ちしております。
