はじめに—「体験」を超えて、「修行として坐る」
現代では「坐禅体験」が観光の一環として人気を集めています。しかし、禅寺での坐禅は、心を落ち着けるレジャーではなく、本来「生き方を整える修行」でした。
私は永平寺での修行を通じて、坐禅とは悟りを求める行為ではなく、“あり方”を学ぶ稽古だと感じました。
そこでは、言葉よりも姿勢が語り、理屈よりも所作が教えてくれます。
禅の世界にはこうした言葉があります。
「威儀即仏法(いぎそくぶっぽう)」—すべての身振りに仏の教えが宿る。
歩き方、手の伸ばし方、箒の動かし方。
その一つひとつが、心を整え、命を整える修行です。
師から学ぶ坐禅—“姿勢の哲学”としての禅
禅寺では、修行と日常が切り離されていません。
朝4時の坐禅、掃除、読経、食事、作務(労働)。
そのすべてが「仏道」です。
「威儀即仏法」という教えの通り、
姿勢を整えること、物を扱うこと、食べること—
すべての動作の中に「心を澄ます」契機があります。
禅寺は“何かを得るために行く場所”ではなく、
“あるがままの自分を見つめるために留まる場所”なのです。
曹洞宗と臨済宗—“坐”の哲学の違い
● 曹洞宗—只管打坐(しかんたざ)
ただ坐ることに意味がある。
「悟るために坐る」のではなく、「坐ることそのものが悟り」。
道元禅師は『正法眼蔵』でこう説きました。
「修証一等(しゅしょういっとう)」——修行と悟りは一つである。
つまり、坐っている“その瞬間”に仏の命が現れているのです。
● 臨済宗—公案禅
一方、臨済宗では「師から与えられる問い(公案)」をもとに自己を観照します。
問いを抱えながら坐り、自己の執着や無明を見つめる。
「父母未生以前の本来の面目とは何か。」
これは理屈ではなく、身体全体で取り組む問い。
思考が崩壊したその先に、真の静寂が訪れます。
曹洞宗は“無為の静けさ”、臨済宗は“問いの躍動”。
二つの坐禅は異なるようでいて、どちらも「自分に還る道」です。
観光体験の先にある「修行」という生き方
近年、禅やマインドフルネスは「癒し」や「ストレス解消」として広まっています。
しかし、本来の禅はもっと生々しく、日常的な実践でした。
たとえば、箸を取る、廊下を掃く、鐘を鳴らす。
そのすべての所作に、「いま、ここ」を生きる稽古がある。
「修行」とは特別な行いではなく、日常を澄ませることにほかなりません。
観光地として訪れる禅寺も、本来は「自分の心を観る道場」。
訪れた人が、静けさの中で“帰る場所”を見つけることができたら、
それはもう立派な修行の一歩です。
耕雲院に息づく“教える禅”—伝えることは、生きること
山梨県都留市・耕雲院(こううんいん)は、600年以上にわたって坐禅の灯を受け継いできた曹洞宗の禅寺です。
私は永平寺での修行を終えた後、この寺に戻り、師から受け継いだ「日常の中の修行」を現代に伝えています。
坐禅・写経・ヨガ・精進料理。
そのどれもが、“身体を通して心を学ぶ”修行です。
最近では海外からも多くの方が訪れ、言葉を超えて静けさを共有しています。
👉禅体験とは|初心者にも安心
👉マインドフルネスは寺にある—静けさに帰るということ
👉お寺で出会う禅|日本の禅寺を巡り、富士山麓・耕雲院で自分と向き合う旅
これらの記事とあわせて読むと、禅の世界が立体的に見えてきます。
富士山麓のお寺で禅体験 — 耕雲院のプログラム概要
- 所要時間: 約3〜4時間
- 内容: ヨガ・坐禅・写経 ※精進料理はオプション
- 費用: 10,000〜15,000円
- 場所: 山梨県都留市(富士山・河口湖から車で約40分)
👉 詳細・予約はこちら → 耕雲院公式サイトリンク
私がご案内します — 耕雲院 副住職・河口智賢
私は、山梨県都留市の曹洞宗 耕雲院で副住職を務めております、河口智賢(かわぐち ちけん)と申します。
大本山・永平寺での修行を経て、禅の実践とその心を現代に伝える活動を続けています。
映画『典座 –TENZO–』では主演を務め、カンヌ国際映画祭をはじめ世界各地で上映されました。この作品を通じて、禅の精神が国や言葉を超えて人の心に届くことを実感しました。
耕雲院では、坐禅・写経・ヨガ・精進料理といった体験を通じ、訪れる方がそれぞれの「今」と向き合う時間を私自身が直接ご案内しています。
禅は、特別な修行ではなく、誰にでも開かれた“生き方の実践”です。その思いから、子ども食堂の運営やオンライン坐禅など、日常の中に禅の精神を取り入れる取り組みも続けています。
初心があるから、人に寄り添える。初心があるから、謙虚に学び続けられる。この富士山麓という自然に恵まれた地で、世界中から訪れる方々と「呼吸を整える時間」を共有できることが、私にとって何よりの喜びです。禅の瞑想とシンプルな所作を通じて、どなたにも届く—深くてやさしい禅の体験をお届けできればと思います。
体験者の声
「心の奥に“静けさの余白”が生まれました。」
日常では味わえない深い静寂に包まれる時間でした。自分の呼吸が“帰る場所”になる感覚を体験できました。
「坐禅と法話が、自分の生活を見直すきっかけに。」
難しい言葉ではなく、日常の中の“禅”を優しく伝えてくださる方でした。家でも呼吸を意識するようになりました。
「ヨガと坐禅の組み合わせが心地よかった。」
身体をほぐしてから坐ると、自然に呼吸が深まりました。富士山の空気と、河口さんの穏やかな声が印象的でした。
よくある質問(FAQ)
Q.初めてでも大丈夫ですか?
A. もちろんです。姿勢や呼吸法は最初に丁寧にご案内します。
Q.服装に決まりはありますか?
A. 動きやすい服装であれば問題ありません。
Q.写経や精進料理は全員参加ですか?
A. 写経は体験に含まれますが、精進料理はオプションです。ご希望の方のみご予約ください。
Q.坐禅中に眠くなってしまったら?
A. 眠くなるのは自然なことです。眠気に気づくことも禅の一部です。焦らず、呼吸に意識を戻してみてください。
Q.予約はどこからできますか?
A.こちらのお問い合わせフォームからご予約ください。
まとめ—禅寺で坐ることは、“生き方を整える”こと
坐禅は、悟るための修行ではなく、「生きることそのもの」を見つめ直す時間です。
姿勢を整えることは、心を整えること。
呼吸を感じることは、いのちを感じること。
「真似なさい。一日真似れば、一日の仏。」
師の言葉の通り、日々の小さな稽古の積み重ねが、私たちを少しずつ変えていきます。
観光のように“行って終わり”ではなく、
日常に持ち帰れる“修行の知恵”を体で感じてみてください。
