坐禅体験とは—“無になる修行”ではなく、“自分を整える時間”
「坐禅を体験してみたいけれど、少し不安がある」
—そう感じる方は少なくありません。
足がしびれそう、無になれないかもしれない、姿勢がつらそう—。
しかし、坐禅は“我慢”や“忍耐”の時間ではありません。心を静めるための特別なテクニックでもなく、自分に戻るための、安心できる時間です。
私は長年禅の修行を続けてきた僧侶として、初めての方こそ坐禅で感じてほしいことがあると考えています。
それは、“無になる”ことではなく、“いまの自分に気づく”こと。
雑念が浮かんでも、足がしびれてもかまいません。
そのすべてが、あなたが「いま、ここ」にいる証です。
*禅そのものの意味や“禅体験”の全体像を先に知りたい方は、関連記事:『禅体験とは』 もどうぞ。
坐禅は、静けさの中で「自分に戻る」体験
現代の私たちは、ニュースやスマートフォン、SNSなど“外側”の世界に意識を向け続けています。
坐禅は、その意識の向きを内側へ戻す行為です。静けさは外ではなく、自分の中にあります。
曹洞宗の言葉で「只管打坐(しかんたざ)」—“ただ坐ること”そのものが悟りである、という教え。何かを得ようとするのではなく、“あるがままの自分”に気づく時間が、坐禅なのです。
*禅と現代のウェルビーイングのつながりに関心がある方は、関連記事:『マインドフルネスは寺にある—静けさに帰るということ』 もおすすめです。
初めてでも安心—坐禅体験の流れ
1. 姿勢を整える
背筋を伸ばし、骨盤を立て、手を組みます(法界定印)。完璧を求めなくて大丈夫。「呼吸が通る姿勢」で十分です。
2. 呼吸に気づく
呼吸をコントロールしようとせず、「呼吸している自分」に気づくだけ。これだけで心は自然に静まります。
3. 雑念が浮かんでも構わない
雑念が浮かぶのは自然です。大切なのは、浮かんだ思考に気づき、また呼吸に戻ること。「気づいて、戻る」の繰り返しが坐禅です。
4. 鐘の音とともに終わる
鐘の音は“終わり”ではなく、“今に戻る”ためのリセット。音ごとに、心身が調和していきます。
坐禅前に整えておきたい3つのこと
① 服装:呼吸を妨げないものを
ジーンズなど硬い服は避け、ゆったりした服装で。からだが自由に呼吸できることが大切です。
② 食事:軽めで、心にも“余白”を
満腹では集中しづらくなります。禅では「淡味(あわみ)」—素材の味をそのまま味わうことを重んじます。“余白”を残すと、心にも静けさが生まれます。
③ 比べない・頑張らない
誰かと比べたり、悟ろうとしたりする必要はありません。坐っている姿そのものが、すでに悟りの姿です。
*日本各地の禅寺文化や体験事例を知りたい方は、関連記事:『お寺で出会う禅|京都・鎌倉、そして富士山麓へ』 をご覧ください。
体験後に訪れる“静けさ”—「前後際断」という生き方
坐禅の後に多い感想は「頭がすっきりした」「呼吸が深くなった」。
それは、心が“過去”にも“未来”にも行かず、ただ“今この瞬間”に戻ったから。
禅ではこれを「前後際断(ぜんごさいだん)」といいます。
過去や未来にとらわれず、“何もしない”を味わう中で、思考のほこりが静かに落ちていく—それが静けさが続く理由です。
富士山麓・耕雲院で体験する坐禅
山梨県都留市、富士山麓の森にたたずむ禅寺・耕雲院。ここでは少人数制の「禅リトリート」を開催しています。自然の音に包まれながら、ゆっくり呼吸を整える時間です。
- 所要時間: 3〜4時間
- 内容: ヨガ・坐禅・写経(精進料理はオプション)
- 費用: 10,000〜15,000円
- 場所: 山梨県都留市(富士山・河口湖から車で約40分)
詳細・予約はこちら → 耕雲院公式サイト
オンライン坐禅会も継続しており、海外からの参加も増えています。国や言葉を超えて、静けさを共有する時間。それもまた、現代における“禅の体験”です。
悟りよりも、“いま”を生きる—河口智賢の禅のかたち
禅は山に籠もる修行ではありません。
いま、ここで呼吸していることに気づく—それが、もうすでに坐禅です。
私は、若い頃に曹洞宗の大本山・永平寺で修行をしました。
朝はまだ暗いうちに起き、沈黙のなかで掃除をし、座り、食べ、祈る。
それは、外から見れば厳しい世界だったかもしれません。
でも私にとっては、“人としてどう生きるか”を見つめ続ける日々でした。
永平寺で学んだのは、「特別な悟り」ではなく、当たり前のことを丁寧に生きることの尊さです。
その気づきこそ、禅の原点なのだと思います。
たとえば、朝の光を感じる瞬間。
湯気の立つお茶をゆっくり味わう時間。
そんな何気ない日常のひとこまの中に、心が澄んでいくような“気づき”があります。
坐禅は、その感覚をもう少し深く味わうための時間です。
映画『典座 –TENZO–』で僧侶を演じたとき、私はあらためて感じました。
禅の心は、国や文化を超えて、人と人をつなぐものだということ。
沈黙や呼吸の奥にあるやさしさ、他者へのまなざし—それは、どの国の人にも通じる“人の根っこ”にある感性です。
耕雲院では、坐禅・写経・ヨガ・精進料理などを通じて、訪れる方が自分の軸に戻れる時間を大切にしています。
また、子ども食堂の運営や地域行事を通じて、寺が人と人をつなぐ“あたたかい場所”であることを目指しています。
ここに来る方は、仕事や家庭、人生の節目の中で「立ち止まる時間」を求めて訪れます。
禅とは、がんばることでも、何かを手に入れることでもありません。
それは、いまの自分をそのまま受けとめるための“やさしい実践”なのです。
体験者の声
「心の奥に“静けさの余白”が生まれました。」
日常では味わえない深い静寂に包まれる時間でした。自分の呼吸が“帰る場所”になる感覚を体験できました。「坐禅と法話が、自分の生活を見直すきっかけに。」
難しい言葉ではなく、日常の中の“禅”を優しく伝えてくださる方でした。家でも呼吸を意識するようになりました。「ヨガと坐禅の組み合わせが心地よかった。」
身体をほぐしてから坐ると、自然に呼吸が深まりました。富士山の空気と、河口さんの穏やかな声が印象的でした。
よくある質問(FAQ)
Q. 初めてでも大丈夫ですか?
A. もちろんです。姿勢や呼吸法は最初に丁寧にご案内します。
Q. 服装に決まりはありますか?
A. 動きやすい服装であれば問題ありません。
Q. 写経や精進料理は全員参加ですか?
A. 写経は体験に含まれますが、精進料理はオプションです。ご希望の方のみご予約ください。
Q. 坐禅中に眠くなってしまったら?
A. 眠くなるのは自然なことです。眠気に気づくことも禅の一部です。焦らず、呼吸に意識を戻してみてください。
Q. 予約はどこからできますか?
A. こちらのお問い合わせフォームからご予約ください。
富士山のふもとで、“何もしない”贅沢を
坐禅とは、心を無にすることではなく、“気づく”こと、“戻る”こと。
静けさの中で、自分の呼吸に気づく。
その瞬間、心は整い、世界がやわらかく見えてきます。
富士山麓・耕雲院で、“静けさに還る時間”を体験してみませんか。
