現代における「禅体験」の意味
近年、マインドフルネスや瞑想への関心が高まり、
「禅体験」という言葉もよく耳にするようになりました。
けれども、禅の原点にある体験とは、
単なる「心を落ち着ける」方法ではありません。
禅とは、“自分の心のあり方”を根本から見つめ直す行いです。
その実践の中心にあるのが、坐禅。
坐禅は、心を「無」にする訓練ではなく、
心が動く様子をそのまま観察し、
煩悩や感情にとらわれない“観照の目”を養う修行です。
禅体験とは、
情報に溢れた時代の中で、
自分の軸を取り戻すための「生き方のリセット」と言えるでしょう。
禅は「引き算の修行」である
私たちは日々、さまざまな“足し算”をしています。
学び、働き、考え、得ようとする。
けれど、禅の世界では“引き算”の思考が中心です。
曹洞宗の祖・道元禅師は『正法眼蔵』で、
「修行とは、自己をならうことなり」と説きました。
自己をならうとは、自分を見つめること。
そして「自己を忘れる」ことで、真実の世界が見えてくると続けます。
禅体験とは、自己中心の思考を削ぎ落とし、
“ただ在る”という状態に還る稽古です。
私たちは常に、情報・欲望・比較の中で揺れ動いています。
それらを少しずつ手放し、
心が「空(くう)」に近づくほど、
ものごとの本質が静かに見えてきます。
禅体験で得られる3つの気づき
1. 雑念を手放す ── 「前後際断」の実践
坐禅をしていると、
仕事のこと、家族のこと、過去の記憶、未来の不安――
あらゆる思考が浮かんでは消えていきます。
そのたびに「また考えていたな」と気づき、
そっと呼吸に戻る。
この「気づきに戻る」こと自体が、禅の修行なのです。
禅ではこれを「前後際断(ぜんございだん)」と呼びます。
過去にも未来にもとらわれず、今この瞬間に生きること。
浮かんでは消える思考を、そのままにしておく。
それが、心を自由にする第一歩です。
2. 呼吸を調える ── 「調身・調息・調心」
曹洞宗の坐禅では、
「調身(姿勢を調える)」「調息(呼吸を調える)」「調心(心を調える)」
という三つの基礎を大切にします。
姿勢が整えば、呼吸が整う。
呼吸が整えば、心が整う。
その三つが一体となったとき、
心は自然と静まり、安らぎが訪れます。
呼吸は、過去にも未来にも属さない「今」にあります。
つまり呼吸に意識を置くことは、
常に“現在”に戻るための確かな方法なのです。
3. 「今ここ」に戻る ── 「只管打坐(しかんたざ)」の精神
坐禅は、何かを得るための手段ではありません。
ただ坐る。
それだけの行いに、すべてを懸ける。
道元禅師はこれを「只管打坐(しかんたざ)」と名づけました。
一切の目的を手放し、
坐ることそのものを完成とする。
禅の修行は“結果を追う”世界ではなく、
“今この瞬間を生き切る”世界です。
この姿勢こそが、忙しい現代において最も欠けている「心の余白」を取り戻す道です。
禅体験の効果──科学が裏づける「内なる回復力」
心理学や神経科学の研究では、近年の研究でも、坐禅や瞑想がストレスホルモンを減少させ、
集中力・感情安定・睡眠の質を高めることが報告されています。
しかし禅の価値は、科学的な効果に留まりません。
禅の目的は“整う”ことではなく、
“自分の心の働きを理解する”ことです。
現代人は感情に反応することに慣れすぎています。
禅体験を通じて、私たちはその反応を一歩引いて観る力――
「俯瞰の心(正見)」を育てることができます。
それが、ストレスや不安の中でも揺るがない「内なる安定」につながります。
富士山の麓で体験する「禅リトリート」──耕雲院の実践 
私は山梨県都留市にある曹洞宗 耕雲院で、
坐禅を中心とした禅体験プログラムを行っています。
このお寺は、富士山の麓という自然環境に囲まれ、
静けさそのものが教えとなる場所です。
禅の学びにおいて、“空間”は師のひとりだと私は思っています。
静かな場所で呼吸を調えると、
自然があなたの心を整えてくれる。
耕雲院では、 初心者でも安心して参加できる禅リトリートを開いています。
禅体験プログラムの流れ
1. 導入・作法の説明
最初に、姿勢・呼吸・視線といった坐禅の基本を丁寧にお伝えします。
多くの方が「正しい坐り方」にとらわれがちですが、
禅において大切なのは、外見ではなく、呼吸が深まる姿勢です。
姿勢を整えることは、心を整える第一歩。
呼吸が静まれば、心もまた静まります。
初めての方にも、一つひとつの動作の意味を解説しながら進めますので、安心してご参加いただけます。
2. ヨガ ― 身体をほぐし、呼吸を整える
坐禅の前に、やさしいヨガの時間を設けています。
長く坐るための準備として、
硬くなった関節や筋肉をゆっくりと緩め、
自然な呼吸の流れを取り戻していきます。
禅の修行では、身体・呼吸・心を一体に調えることを「調身・調息・調心」といいます。
ヨガは、そのうちの“調身”を助ける修行です。
体が柔らかくなるほど、心もまた柔らかくなっていく――
その変化を感じながら、坐禅へと入っていきます。
3. 坐禅 ― 静寂の中で自分を観る
鐘の音が鳴り、静寂が訪れます。
背筋を伸ばし、呼吸に意識を向ける。
思考が浮かんでも追わず、ただ「気づき」に戻る。
坐禅は、“無になるため”の修行ではありません。
心の動きを観察し、それにとらわれない自分を育てていく時間です。
禅ではこの姿を「只管打坐(しかんたざ)」と呼びます。
何かを得ようとせず、ただ坐る。
その“ただ”の中に、真実の豊かさがあります。
4. 写経 ― 一文字一息に心を込める
坐禅の後は、筆を持ち、静かに一文字ずつ経文を写していきます。
一画ごとに呼吸を合わせ、筆を運ぶ。
この時間は、「書く坐禅」とも呼べるほど、深い集中が生まれます。
書は、心の鏡です。
書く手が乱れれば、心が乱れています。
呼吸を整え、丁寧に一筆を置くことが、心を整える行為になるのです。
写経は文字を“写す”ことではなく、
仏の心をなぞること。
その静かな一筆一筆が、内なる静けさを深めていきます。
5. 精進料理 ― いのちをいただく心で 
体験の締めくくりは、精進料理の時間です。
旬の食材を使い、心をこめて調理された料理を、
感謝の念とともにいただきます。
食前には「五観の偈(ごかんのげ)」を唱え、
食材の命・作り手の手間・自らの行いを省みます。
食べることもまた、修行の一部です。
いただくとは、いのちを受け取ること。
その感謝が、心を深く静めてくれます。
一口ごとに呼吸を感じ、
素材の香り、音、温度、歯ごたえを意識する――
その一瞬一瞬が、禅の実践そのものです。
プログラム概要
- 所要時間:約3〜4時間
- 内容:ヨガ・坐禅・写経・法話 ※精進料理はオプション
- 費用:10,000〜15,000円
- 場所:山梨県都留市(富士山・河口湖から車で約40分)
👉 詳細・予約はこちら →耕雲院公式サイトリンク
私がご案内します──耕雲院 副住職・河口智賢
私は、山梨県都留市にある耕雲院の副住職、河口智賢(かわぐち ちけん)と申します。
大本山・永平寺で修行を積み、曹洞宗の伝統を長年の実践を通して受け継いできました。
寺務に加え、映画の世界にもご縁をいただき、
ドキュメンタリー映画『典座 –TENZO–』では主演を務めました。
この作品はカンヌ国際映画祭をはじめ、世界各地の映画祭で高い評価を受け、
映画を通じて禅の精神を伝える新たな道を得ることができました。
ここ耕雲院では、坐禅・写経・ヨガ・精進料理を通じて、
私自身が直接、訪れる方を導いています。
禅は「難しい修行」ではなく、誰にでも開かれた生き方であると信じています。
そのため、子ども食堂の運営やオンライン坐禅の開催、
ヨガ指導者・地域グループとの協働など、
日常の中に禅の精神を生かす取り組みも続けています。
世界中から訪れる方々を、この富士山麓の静かな寺でお迎えできることは、
私にとって何よりの喜びです。
禅の瞑想とシンプルな実践を通して、
深遠でありながら、誰にでも開かれた体験を分かち合いたいと思います。
体験者の声
「心の奥に“静けさの余白”が生まれました。」
日常では味わえない深い静寂に包まれる時間でした。
自分の呼吸が“帰る場所”になる感覚を体験できました。
「坐禅と法話が、自分の生活を見直すきっかけに。」
難しい言葉ではなく、日常の中の“禅”を優しく伝えてくださる方でした。
家でも呼吸を意識するようになりました。
「ヨガと坐禅の組み合わせが心地よかった。」
身体をほぐしてから坐ると、自然に呼吸が深まりました。
富士山の空気と、河口さんの穏やかな声が印象的でした。
💡 よくあるご質問(FAQ)
Q. 初めてでも大丈夫ですか?
A. もちろんです。姿勢や呼吸法は最初に丁寧にご案内します。
Q. 服装に決まりはありますか?
A. 動きやすい服装であれば問題ありません。
Q. 写経や精進料理は全員参加ですか?
A. 写経は体験に含まれますが、精進料理はオプションです。ご希望の方のみご予約ください。
Q. 坐禅中に眠くなってしまったら?
A. 眠くなるのは自然なことです。眠気に気づくことも禅の一部です。
焦らず、呼吸に意識を戻してみてください。
Q.予約はどこからできますか?
A. こちらのお問い合わせフォームからお問い合わせください。
ぜひ一度、耕雲院へお越しください
禅体験は、何かを得るためではなく、
心を“空っぽ”にして、今を生き直すための時間です。
呼吸を調え、姿勢を整える。
それだけで、心の奥に静けさが戻ってきます。
富士山の麓・耕雲院で、
あなたとこの静かな時間を分かち合えることを、心よりお待ちしています。
